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東京高等裁判所 昭和52年(う)1197号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人西村昭、同柳沢尚武、同渡辺正雄、同小島成一、同上條亘夫連名作成名義の控訴趣意書並びに弁護人西村昭、同柳沢尚武、同渡辺正雄連名作成名義の控訴趣意書(補充)に各記載されたとおりであるから、これらを引用する。

論旨は事実誤認の主張である。

第一前論

本件公訴事実(主位的訴因、但し変更後のもの)の要旨は、「被告人は、川中島自動車株式会社に勤務し、大型旅客自動車(バス)の運転に従事していたものであるが、昭和四七年九月二三日午後零時五分ころ、同社所有の大型旅客自動車(長野二あ七三三号)に乗客等八一名を乗車させて運転し、長野県上水内郡信濃町大字柏原汗馬坂地籍の幅員約四・六五メートルの砂利道を同町大字野尻方面から同郡戸隠村方面に向けて時速約二五キロメートルで進行中、前方の右カーブを対向して来る宮崎昇運転の大型貨物自動車を約二四・五メートル以上手前において認めたが、同道路は狭隘であるうえ、左側は深い谷間であり右側は山であって、そのまま進行してすれ違うことができない状況にあったところから、一旦停車して、安全な場所ですれ違いをするため、減速状態に入ったものであるが、同道路は、前記のとおり、右にカーブしているうえ、狭隘で、かつ、左側は谷間であるので、かかる場合自動車運転者としては、道路左側端に寄り過ぎて脱輪させることのないよう道路状況を確認しつつ、道路中央部に車体を保持して進行し、もって危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、漫然ハンドルを左に切って道路左側端に寄り過ぎて進行した過失により、自車左側車輪を同道路左側の路肩から脱輪させて同車を約五七メートル下の鳥居川に転落させ、その衝撃により、(原判決添付の別紙(一)、(二)のとおり)バスの乗客ら一五名を死亡させたほか、同乗客ら六六名に対し傷害を負わせた」

というものであり、原審における検察官の釈明によれば、右にいう「道路中央部」とは「道路の路肩部分(路端から五〇センチメートル以内の部分、以下同じ)を除いた部分」を指すものであるところ、原判決は、

「被告人は、(中略)幅員約四・五ないし六・五メートルの信濃信州新線と通称する非舗装の山道を赤倉からの帰途戸隠村方面に向けて時速約二五キロメートルで進行中、前記右カーブの山陰から対向進行して来る宮崎昇運転の大型貨物自動車(ダンプカー)を約二四・五メートル手前において認め、(中略)右ダンプカーを後退させてその約一〇メートル後方にある幅員の広い安全な場所ですれ違いをするため自車を一旦停車しようとして減速状態に入ったものであるが、右のような道路状況のもとにおいて、自動車運転者としては、道路左側端に寄り過ぎて路外に脱輪させることのないよう進路の安全を確認して進行し、もって危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、進路の安全を確認することなく、漫然ハンドルを左に切り道路左側端に寄り過ぎて進行した過失により、車の荷重で左路端を崩壊させ、左前・後輪を路外に脱輪させて同車を約五七メートル下の鳥居川に転落させ(中略)た」(省略部分は公訴事実と同旨)

と認定して、被告人を有罪とし、禁錮二年の実刑に処した。なお、原判文に照らすと、右にいう「道路左側端に寄り過ぎて進行した」とは、バスの前輪を路肩部分に進入させて進行したことを意味するものであることは明らかである。

これに対し、所論は、原判決の認定・判示を種種論難するのであるが、その骨子は、要するに、(1)被告人は、自車左前輪を路肩部分に進入させたことはない。被告人において、同車輪を路端から約八〇センチメートルの位置に保持して進行していたところ、左前輪の荷重のため道路の同車輪より内側部分に弓形の亀裂が生じ、これより路端側部分がブロック状に沈下するなどしたため、ハンドルをとられて左前輪が亀裂に沿って進行すると同時に車体が横転運動を始め、路端付近に至って土壌を大きく崩壊させながら遂に横転・転落したのである。本件事故は、道路の右亀裂から谷側部分が極端に弱いという瑕疵・欠陥により生じたものであり、被告人にとって、右のごとき瑕疵を予見することは不可能であったから、本件事故につき被告人に過失はない。(2)仮に百歩譲って、被告人が、自車左前輪を若干路肩部分に進入させたとしても、それは幅員の広い安全な場所でダンプカーとすれ違いを行なうためであり、このような場合には車両を路肩部分に進入させることも許されると解すべきであって、この点につき直ちに被告人に注意義務の違反があったということはできない。いずれにせよ本件事故は、道路の欠陥に基づくものであって、被告人には過失がなく、被告人は無罪である、というのである。

そこで、所論にかんがみ、記録及び原審で取り調べた証拠を調査し、当審における事実取調の結果を合わせて検討する。

第二基本的事実関係

まず、関係証拠によれば、以下1ないし7の事実を認めることができる。

1  被告人は、昭和四一年三月大型第二種免許を取得し、同四二年六月川中島自動車株式会社にバス運転手として入社し、同四三年七月同会社戸隠支所に配属され、爾来本件事故現場の所在する柏原線等主として路線バスの運転に従事してきた者である。

2  被告人は、昭和四七年九月二三日午前一〇時四〇分ころ、右会社の路線バスである車長一〇・五メートル、車幅二・四九メートル、ホイール・ベース五・〇メートルの大型旅客自動車(以下本件バスという。)を運転し、これに車掌として荒井源治を添乗させて柏原線の始点赤倉を出発し、戸隠に向かい、途中妙高高原町、野尻、黒姫駅前等の停留所で客を乗降させたのち、ほぼ満員に近い八〇名の乗客を乗せて、信濃信州新線と通称するカーブの多い非舗装の幅員の狭い山道を進行し、同日午後零時ころ、事故現場である長野県上水内郡信濃町大字柏原汗馬坂地籍に差しかかった。

3  事故現場付近は、本件バスの進行方向に向かって道路右側(北側)は山に連る土手となって樹木が密生し、左側(南側)は約五七メートル下方を流れる鳥居川に達する急傾斜(傾斜角度約四五度)の谷となっており、道路は、同方向に向かって右(山側)に大きくカーブしていて見通しは悪く、路面は、谷側に向かい緩やかな下降状の横断勾配があるが縦断勾配はなく、その幅員は、本件バス転落地点直前付近で約四・四メートル、同地点を通り過ぎた直後付近で約五・五メートルである。

4  被告人は、時速約二五キロメートルで進行して本件カーブの手前に差しかかったところ、前方約二四・五メートルの地点に、対向進行してくる宮崎昇運転の大型貨物自動車(車長七・五メートル、車幅二・四八メートルのダンプカー、以下単にダンプカーという。)を発見し、そのまま進行したのでは同車とのすれ違いができないため、一旦停車して同車の後退を求め、本件事故現場から十数メートル戸隠寄りに所在する幅員の広い道路部分で同車とすれ違おうと考え、ブレーキをかけて減速しながら前進したところ、その途中において、宮崎が本件バスを認めて停車したダンプカーの約三メートル手前の地点で、本件バスが左前輪部分から谷に向けて転落し、急斜面を転げ落ちて鳥居川にまで達し、原判示のとおり、バスの乗員全員が死亡もしくは負傷するという本件事故が発生した。

5  右転落地点付近の道路は、谷側の路端の外側に高さ約四〇センチメートルの熊笹が密生し、概ね路端から内側約五〇センチメートルの範囲に砂利が存在していて、右路端が明らかに識別できる状況にあるが、本件バスの転落後、現場の谷側路端付近において二個所、道路及びその外側部分の土壌が崩壊しており、このうち赤倉寄りの崩壊部分(以下これをX1という。)は、路肩部分から傾斜面に向け長さ約二・七メートル、幅約七〇センチメートルにわたり土砂が剥ぎ取られたように崩れ、ある部分は路面が圧迫され低下していて、その部分にはタイヤの型は判明しないが車轍があって、その車轍は路端線に対し約三三度の角度をなしており、また、戸隠寄りの崩壊部分(以下これをX2という。)は、路肩から傾斜面に向け長さ約九〇センチメートル、幅約四〇センチメートルにわたり土砂を掘ったような状態で深く崩れ、タイヤの型は判明しないが車轍があり、その路端線に対する進入角度は必ずしも明らかでないが、X1の車轍に近い程度の角度であることがうかがわれる。

6  また、本件事故現場付近には、右崩壊部分を除き車轍、スリップ痕等本件バスの進路を明示する痕跡は何ら存在せず、ただ、右X1X2付近の路面に一条の、凹面を谷側に向けた弓型の亀裂が形成されていて、その頂点に相当する最も道路中央に近い部分は谷側の路端から約一・一メートルあり、両端は概ねX1X2の各地点まで達している(以下これを本件亀裂という。)そして本件亀裂を境として路面の谷側部分が段層状態を呈して低くなっている。

7  なお、X1X2における前記各崩壊の開始地点と路端との位置関係は証拠上明らかでない。またX1とX2の間隔も証拠上必ずしも明確とはいい難いが、本件事故当日の実況見分の際にステレオカメラで撮影した写真を図化した図面(司法警察員作成の昭和四七年九月二七日付実況見分調書添付の図面)によれば、X1X2の各中心部分相互の間隔は、原判示のとおり約四・五五メートルと計測される。

第三バスの転落までの経緯

一  以上認定・判示の事実によれば、X2の車轍は本件バスの左前輪により、またX1の車轍は左後輪によりそれぞれ印象されたものであることは疑いがなく(ちなみに、本件事故前にX1X2の崩壊部分があったことをうかがうべき何らの証拠もない。なお、原判決が、X1を左前輪の、X2を左後輪の各車轍である旨認定しているのは、明らかに誤認である。)、本件バスは、まず左前輪がX2を、次いで左後輪がX1を通って転落したことは明らかである。

それゆえ、本件事故の原因、ひいては被告人の過失の有無を判断するためには、本件バスの左前・後輪、とくに左前輪が、いかなる原因により、またいかなる径路をたどってX2X1の各地点に達したのかが解明されなければならない。しかるところ、本件事故現場には、X2X1を除き、本件バスの進行径路を示す車轍等の痕跡がないことは前記のとおりである。

二  ところで、被告人は、原審公判において、本件事故の際の運転状況につき大略次のとおり供述している。

「自分は、本件カーブの手前に差しかかり、楽ににカーブを廻れるよう若干道路左側に車体を幅寄せしつつ進行していたところ、前方のカーブからダンプカーが出てきたので、ダンプカーに後退してもらってすぐうしろの幅員の広いところですれ違うべく、ブレーキをかけて減速しながら進行した。そのときのバスの位置は、左前輪の外側が路端から約八〇センチのところにあった。ところが、右進行の途中、急に左前輪がぬかるみに入ったようになってハンドルが重くなり、車輪が左側に沈んだようになったと思った瞬間左へハンドルをとられ、そのためハンドルを握っている右手が左顎の付近まで持ち上げられた。あわててブレーキを踏みつつハンドルを右に廻そうとしたが、重くて廻らなかった。車体は左の方に傾き、その傾きが段々大きくなり、車体右側が持ち上げられつつ前方にずり落ちて行った。ダンプカーを発見してから転落するまでの間、意識的にハンドルを左に切ったことはない。」

このように供述している。そして、被告人は、本件によりみずからも負傷し、入院治療を受け、退院直後から起訴されるまでの二二日間身柄を拘束されたまま取調を受けたのであるが、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書によれば、被告人は、捜査段階において、最終的にはダンプカー発見後左にハンドルを切ったことを認めたものの、逮捕後約一〇日の間は、本件事故の状況につき、表現に差はあっても、バスの進行位置の点を含め、ほぼ原審公判におけると同旨の供述をし、ことに意識的にハンドルを左に切った憶えはない旨供述していることが認められる。

そこで、被告人の捜査段階における供述中ハンドルを左に切ったとの供述の信用性についての吟味は後(第六)に譲ることとして、被告人が右に供述するように、路端から約八〇センチメートルのところを進行していてハンドルをとられ、左前輪がX2地点まで達するがごとき事態が生じ得たか否かについてまず検討する。

三  本件事故現場の道路上に、X2X1を結び本件亀裂が生じていたことは前記のとおりであるところ、右亀裂が本件事故の前から存在していたことを認むべき何らの証拠もなく、関係証拠によって認められる事故現場の状況等から判断しても、右亀裂が本件事故の際本件バスにより道路に加わった力によって生じたものであることは推認するに難くない。そして、本件亀裂の頂点に相当する最も道路中央に近い部分と路端との間隔が約一・一メートルであることは前記のとおりであるところ、原審の昭和五〇年六月一一日実施の検証調書等によれば、本件バスの左右前輪の幅は三二センチメートルであることが認められるので、仮に本件バスが、被告人の右供述どおりの位置を進行していたとすれば、その際の左前輪の内側部分は、本件亀裂の頂点付近に位置していたことになる。

そこで、乗客を満載した本件バスがこのような地点を通過することにより、左車輪にかかる力によってその直下付近の道路に亀裂が生じ得るか否か、もし生ずるとすれば、その形状・規模はいかなるものであったかについて検討する。

第四路面における亀裂の発生(ブロック状沈下)

一  まず、関係証拠、ことに川上浩(信州大学工学部教授、道路工学)作成の県道信濃信州新線バス転落事故現場調査報告書(以下川上報告書と略称する。)及び同人の原審証言によれば、本件事故現場の地盤の特質として、以下の事実が認められる。

1  本件事故現場道路の主として谷側部分は、表面が粘土まじりの砂利、その下が盛土材、次いで黒色有機質土、更にその下が風化砂岩等の土壌によって構成されているが、谷側に近ずくに従って表面の粘土まじりの砂利の層が薄くなり、それとともに地盤としての強度が低下していること、これを地盤の強度を表わすK値(地盤係数)で示すと、路端から約一・七メートルの地点のK値は一六・七ないし一七・二で、セメントコンクリート舗装の際に必要とされるK値一五を上まわっているが、路端から約一・四メートルの地点のK値は七・七とすでに相当に軟弱化しており、路端の近辺に至っては、路端から約五〇センチメートルのK値が二・〇ないし二・四と極度に軟弱で、右地点において実施された平板載荷試験において、平板に一平方センチメートル当たり約二・二〇キログラムの荷重を懸けただけでその部分が約八・一二センチメートル沈下しており、道路として要求される強度にほど遠いこと、

2  更に、谷側路端下の傾斜面には、本件亀裂の中間地点付近の地表から約一・七五メートルのところに、横幅約一・一五メートル、縦幅約三〇センチメートル、水平の深さ約七五センチメートルの、土砂がえぐりとられてできた空洞があり、その空洞は、水平部分がつきたところからさらに上向きになって奥まで続いている可能性があること、それゆえ、右空洞から上の部分は、土砂がいわばオーバーハングした状態にあり、本来なら右オーバーハング部分の土砂は崩れ落ちて然るべきであるのに、それが崩れ落ちずに残存しているのは、右土砂の間に木の根や草の根が縦横にはりめぐらされていてこれによって支えられているためであること、

以上の事実が認められる。

二  そして、関係証拠を総合すると、以下の理由により、右のような状態にある本件道路上を、乗客を満載した本件バスが低速で、その左前輪の内側部分が本件亀裂の頂点より谷側直近付近を通行すれば、その荷重によって左前輪下の地盤に亀裂が生じ、その谷側部分が沈下するとともに谷側に傾く可能性は十分にあるものと認められる。すなわち、

1  まず、鑑定人川崎浩司(神奈川大学工学部助教授、土質基礎工学)の当審鑑定及び同人の当審証言(以下一括して川崎鑑定という。)によれば、同人において、川上報告書を含む本件記録を検討し、みずから事故現場に赴きその土質等を調査した結果として、事故現場道路の路端に近い部分の土壌が非常に軟弱であること、亀裂の下部に前記のごとき空洞が存在し、その上の部分がオーバーハングした状態になっていること、右オーバーハング部分が木の根、草の根、盛土の混合体ともいうべき状態にあること及び道路面が谷側に若干傾斜していることなどの条件が重なり、本件バスが本件亀裂より谷側部分を時速約五キロメートルで通過した場合には、左前輪にかかる荷重により、その下の道路がブロック状に変形し、亀裂が生じて沈下すると同時に谷側に傾くことは容易に推察できる旨及びそのブロック状の変形は、車輪が亀裂に沿って進行するに従い増大し、その変形量は弓形亀裂の頂点付近では下方、側方ともに五センチメートル程度であるが、最終的にX2地点付近に車輪が達した際には、下方、側方ともに一五センチメートル程度に達する旨、その所見を述べており、これら所見を含む川崎鑑定の内容を他の証拠と対比しつつ仔細に検討しても、右結論に至るまでの推論の過程に、格別矛盾や不合理な点は見いだせない。

2  次に、川上報告書及び川上浩の原審鑑定並びに同人作成の鑑定供述説明資料、同人の原審証言(以下一括して川上鑑定という。)によれば、本件事故現場でスウェーデン式サウンディング試験、平板載荷試験、土質試験等を行なった結果として、平板載荷試験の際のデータや、右試験の際道路上(ほぼ本件事故の際に亀裂が生じたのと同じ位置)に亀裂が生じたこと及び右亀裂がオーバーハング部の近傍において生じていることなどから、亀裂より谷側に荷重がかかれば亀裂部分がブロック状に沈下することが予想された、というのである。もっとも、右平板載荷試験の際には、現実には亀裂部分はブロック状に沈下するには至らなかったのであるが、川上報告書によって明らかなように、亀裂が生じた際の右試験は、路端から約五〇センチメートルの、K値が二・四という極度に軟弱な土壌のうえで行なわれたものであって、川上教授も、予想に反してブロック状の沈下が生じなかったのは、試験個所の土壌が柔かすぎたため、載荷板に加えられた力の作用として、その直下の土壌が部分的に沈下するという作用の方が卓越していたためであると述べている。しかも右試験の際に平板上に加えられた力は最大限一平方センチメートル当たり約二・二〇キログラムで(川上報告書六五頁)、証拠により認められる、本件バス左前輪の荷重(少くとも一平方センチメートル当たり約三キログラム)より相当に少いうえ、証拠上、事故の際生じた亀裂の頂点付近の土壌が右試験の行なわれた個所の土壌よりは相当に強固であることがうかがわれるのであって、これらの点を合わせ考えれば、原判決のように、川上教授による右平板載荷試験の際にブロック状の沈下が生じなかったことから、ただちに本件事故の際にもブロック状の沈下が生じなかったと結論ずけることは、相当でない。

3  ところで、鑑定人植下協(名古屋大学工学部教授、土質工学及び道路工学)の原審鑑定並びに同人作成の鑑定供述説明資料、同人の当審証言(以下一括して植下鑑定という。)によれば、同人において、本件バスの左前輪が路端近くの軟弱土壌上を通過すれば、その際車輪直下に復元不可能な程度の土壌の沈下が生じるはずであるのに本件事故現場にこのような跡がないことを主たる根拠として、本件亀裂は車輪の通過によるよりも、バスが転落した際車体の一部が接地したことにより生じた可能性が大きい旨、その所見を述べている。しかしながら、被告人の前記供述に従えば、本件バスは、植下教授が右に指摘する地点を通過したことにはならないのであり、しかも同教授もまた、本件バスの左前輪が右亀裂に沿うようにして進行したと仮定すれば、その際の車輪の圧力によって右のごとき亀裂が生じることも大いにあり得る旨述べているのであって、この点にかんがみれば、植下鑑定もまた、これを全体として見れば、本件バスの左前輪の通過により本件亀裂が生じた可能性を肯認する資料となりこそすれ、これを否定する根拠にはなし得ないものというべきである。

4  更に、植下教授は、その所見として、(1)川上教授による平板載荷試験の際に亀裂より谷側部分がブロック状の沈下を起こさなかったこと、(2)土の物理的性質に徴し崩壊現象を起こすことなくブロック状に大きく変形することはあり得ないことを主たる根拠として、本件バスの左前輪が通過したことにより、亀裂から、谷側部分が、川崎鑑定の指摘する程度のブロック状の変形を生じたことはないと思う旨述べている。しかし、右(1)の点については、ブロック状の変形の発生を否定する根拠としては必ずしも相当でないことは前記のとおりである。また、(2)の点については、その当否を軽軽しく論じることはできないとしても、①少なくとも本件亀裂から谷側のオーバーハング部分が、木の根、草の根、盛土の混合体ともいうべき特殊な性状のものであり、現地を調査した川崎助教授において、このような特殊な性状を根拠として、亀裂から谷側部分がブロック状に変形し、しかもその部分が崩落することなく残存し、木の根、草の根の弾力によって変形の一部が元に復した旨の所見を述べているのであること、また、②川上鑑定によれば、同じく現地を調査した川上教授の所見も川崎助教授の右見解と対立するものではなく、むしろこれを支持するものと思われること、更に、③鑑定人江守一郎(成蹊大学工学部教授、自動車工学)の原審鑑定並びに同人作成の鑑定供述説明資料、同人の当審証言(以下江守鑑定という。)によれば、同人において、本件亀裂より谷側部分は、道路中央部より剥離してハンドルをとられる程度に谷側に傾いたのであり、その部分が下に崩落しなかったのは、木の根や草の根に支えられていたためであるとの趣意の所見を述べていること、

などの点を総合すれば、植下鑑定をもってしても、本件亀裂から谷側部分に前記1程度のブロック状変形が生じたとの川崎鑑定を覆えすには足りないものといわなければならない。

5  更に、前記のとおり、本件亀裂の一方の先端が本件バス左前輪の通過あとであるX2に繋っている点もまた、右亀裂が左前輪の通過により生じ、そのため同車輪が亀裂に沿って進行してX2に達したとの推論を根拠ずける事実として看過できない。

なお検察官は原審論告(第三三回公判)において、本件亀裂の発生原因は、転落の際にバスの車体下部が路端に接地したため道路を谷側に引く作用をしたことに因るものであると主張する。しかし、転落の際にバスの車体が路端に接地した事実は、その根拠として検察官が列挙する証拠を総合しても、これを認定することができない。なるほど原審検証調書(昭和四八年七月一八日実施のもの)の図面②には、X1の部分から前方約一八〇センチメートルの左路端が崩れていることの記載があるが、事件直後に作成され同じく検察官が援用する昭和四七年九月二七日付司法警察員実況見分調書には、この崩壊部分については、図面本文ともに何らの記載がなく、添付写真によってもこれを確認し難い。右の原審検証は事件発生から約一〇か月後に施行されたものであるから、右の崩壊はその間に新たに生じた公算が大であって、本件バスの車体が接地したことの証拠とすることはできない。

三  以上の諸点を総合して判断すれば、本件バスの通過により左前輪直下の地点に亀裂が生じ、その部分が沈下するとともに谷側に傾斜する可能性は十分にあるものと認められる。そして、進行中のバスの左前輪下の地盤に右のごとき異状が生ずれば、力学上、左前輪が抵抗の少ない方向すなわち谷側に向かい、同時に運転中のハンドルが左にとられることは、前記各鑑定人の所見を俟つまでもなく、明らかである。

第五バス転落の力学的構造(崩壊沈下)

一  江守鑑定によれば、低速で進行中の本件バスの左前輪直下の地盤が急激に沈下し、同車輪が足払いを受けた状態となれば、それまで四輪で支えられていたバスの荷重が左前輪を除く三輪によって支えられることとなり、しかも、右前輪及び左後輪にかかる荷重が増大すると同時に右後輪にかかる荷重が減少する結果となって、バスの重心が左に移動するとともに車体が左に傾き、これに、車輪を支えているバネにかかる荷重の急激な変動に伴うバネのオーバーシュート現象及びブレーキをかけることにより生ずるノーズダィブ現象(車体の前部が沈む現象)が加わり、更には、車体が左傾することなどにより乗客(ことに立っている乗客)の体重が進行方向の左前方に移動することとも相俟って、いよいよ車体が左に傾き、遂には車体の重心が、車体を支えている右前輪及び左右後輪の三点を結ぶ三角形の外側にまで達し、その結果として車体が左前方に転倒すること、右のようにしてバスが転倒するためには、左前輪下の地盤が約四五センチメートル低下することが必要であることが認められる。

そして、川崎鑑定、川上鑑定、江守鑑定等を総合すれば、本件道路においては、本件亀裂谷側部分のブロック状変形による沈下及びX2地点付近における土壌の崩壊沈下を合わせれば、少くともX2地点においては、本件バスが転倒するために必要な約四五センチメートルを越える地盤の沈下があったことを推認するに十分である。

二  以上に検討したところによれば、本件バスは、進行中左前輪下の地盤に亀裂が生じ、ブロック状に沈下すると同時に谷側に傾斜したため左前輪が亀裂に沿うようにして谷側に向かい、X2地点に達して車輪下の土壌を崩壊させ、これらによる地盤の沈下によって、左前輪が足払いを受けた状態となって左前方に転倒した可能性が極めて大きいものということができる。

三  もっとも、本件バス転落の原因については、右と異り、本件バスが左前方にオーバーランして左前・後輪が脱輪したことによるもので本件亀裂は事故と何ら関係ないとの見解もあり得る(原審論告等によれば、検察官においてこの見解をとっていたことは明らかである)ので、ここに、被告人や乗客・目撃者等の供述を除外し、証拠上認められる客観的事実から、この見解の当否について検討する。

まず、江守鑑定、青木運治作成の写真撮影報告書、バス転落実験の状況を撮影した八ミリフィルム(二本)等によれば、およそバスの左前輪が路端から脱輪した場合にはフロント・アクスル等左前輪付近の底部車体が接地して車体を支えるため左前輪が脱輪したのみではバスは転倒するものではないことが認められる。

もっとも、バスが左前方に向かって進行中に左前輪が脱輪した場合には、左前方に進行しようとするバスの惰力を考慮に入れなければならない。しかし、この場合においても、バスが低速で進行しているなら、車体の一部が接地することにより生ずる摩擦のため、車体が大きく路外に逸脱する前に車両が停止するため、転落までには至らないものと考えられる。

なお、バスが相当の高速で左前方に進行中左前輪が脱輪した場合には、左前輪下の接地にもかかわらず、惰力によってなおも左前方に進み、左後輪の脱輪も続いて伴い、車体が大きく路外に逸脱して転落にまで至ることは十分に考えられる。しかし、この場合には、前輪が脱輪してから後輪が脱輪するまでの間に車両がなお若干前進するため、左前・後輪の各脱輪位置相互の間隔は、車両のホイール・ベースよりも相当に短かくならなければならない。ちなみに、本件バスのホイール・ベースが五・〇メートルであることは前記のとおりであるところ、原審検証調書(昭和五〇年七月九日実施のもの)によれば、前・後輪の位置がいずれも路端から五〇センチメートルとなる地点から路端に対して三三度の角度(おおよそ、X2地点にある車轍の路端線に対する角度に相当)で進入するよう進行し、各車輪を脱輪させた場合、路端における前・後輪の車轍の幅は、二・八メートルとなり、前・後輪と路端の距離が右の五〇センチメートルより大となるに従い、右車轍の幅は縮まるばかりであることが認められる。しかるに、事故現場の路端における前・後輪の通過跡、すなわちX2X1間の距離は約四・五五メートルと、ホイール・ベースとあまり変らない距離であって、この点にかんがみても、本件をいわゆるオーバーランによる脱輪・転落事故と見る見解は、当を得たものとはいえない。のみならず、仮に左前輪付近の車体が接地しながらなおも前方に進んだとすれば、車体と地盤との間に生ずる大きな摩擦により、地盤上に顕著な痕跡が生じて然るべきであるのに、本件においてはこのような痕跡はなかったことがうかがわれる。

更に付言するに、本件バスの後輪の方向は車体に固定されているのであるから、前記X1の車轍の路端に対する角度が約三三度であることから見れば、本件バスの後輪が路端付近に達した際には、車両全体が路端に対し約三三度の角度をなしていたものと思われるが、本件のように、幅員が車長の約半分にしかすぎない狭い道路を進行中の車両が、いかに急激にハンドルを左に切ったにせよ、車輪の回転により進行して後輪が路端付近に達した時点において、その車体が道路に対しこのように大きな角度をなす姿勢となることは、まずあり得ないものといわなければならない。本件において、左後輪の路端における車轍の進入角度が右のように非常に大きいという事実は、とりも直さず、本件バスの左前輪直下の土壌(X2)が崩壊しバスが左前方に転倒していく過程で車体が左に大きく回転したことを物語るものと解されるのである。

四  以上に検討したところによれば、「路端から約八〇センチメートルのところを進行中、急にハンドルをとられて車体が左に傾き、バスが転落した」との被告人の供述は、客観的事実によって十分裏付けられているものといえる。(なお、原判決は、X2X1間の距離がホイール・ベースに近い四・五五メートルもあること、幾何学的計算によれば地盤がブロック状に傾斜することによりバスの車体が安定を失って転倒するためには極めて大きな亀裂が生じなければならないことなどを理由として、被告人の右供述を排斥しているが、右はいずれも進行中の本件バスの左前輪下の地盤が沈下及び傾斜することにより、ハンドルをとられてバスの左前輪が谷側に向かい、X2の崩壊地点にまで達し得ることを忘却した議論であって、本件証拠関係に照らしても到底是認できない)。

第六左転把について

ところで、原判決は、被告人がダンプカー発見後左に転把したと認定しているところ、これに沿う関係者の供述が存在するので、以下これらの供述証拠の信憑性について検討を加えることとする。

1  ダンプカーの運転者である宮崎昇の原審証言によれば、同人において、本件事故の目撃状況として、

「自分は、時速約二〇キロメートルで進行中前方にバスを発見し、すれ違いのため後退すべく直ちに停車した。バスは、道路の中央付近を進行し、道路にできた穴の付近を通過する際上下に振動し、最後の穴のところでハンドルをとられたようになってちょっと谷側に寄りそうになった。そこでバスの運転手は態勢を立て直そうとしたが、今度はバスが山側に寄り過ぎたため、運転手はハンドルを左に切った。するとバスは谷側の方に寄って行き、そのまま自分の目の前で崖下に転落して行った。バスは、時速二〇ないし二五キロメートルで進行して来たが、アクセルを離しただけでも自車の手前で止まれると思っていたのに、意外にも速度を全くゆるめることなく、そのままの速度で走りながら転落して行った。」

との趣旨の証言をしており、右証言のとおりであるとすれば、被告人のハンドル操作の誤りが本件事故の原因であることはいうまでもない。

しかし、宮崎の右証言は、事故現場の客観的状況に全く符合しないものである。すなわち、仮に同人の右証言どおりであるとすれば、本件バスは、むしろ道路の山側に近い地点から左斜め前方に進行し、相当な速度で走りながら転落したことになるから、前記第五の二において説示したところに従えば、路端における前・後輪の車轍の間隔は、二・八メートルより相当に短かくなければならないはずである。しかるに本件における右間隔が約四・五五メートルにも及んでいることは前記のとおりであって、この一事をもってしても、宮崎の右証言はたやすく信用できない。のみならず、司法警察員作成の昭和四七年九月二七日付実況見分調書等によれば、宮崎が指摘する道路上の穴というのは、いずれも幅一メートル前後、深さ約一〇センチメートルのものであって、時速約二五キロメートルで進行中のバスが、たやすくハンドルをとられて運転を誤る原因となるほどのものとは思われない。しかも、同人の右証言は、バスの運転手が、右穴のためにハンドル操作を誤り、ブレーキもかけずに(更にはアクセルから足を離すこともなく)、そのままバスを走らせて転落したというのであって、運転免許取りたての初心者ならいざ知らず、被告人のように、バスの運転経験が豊富で本件道路を含め山間道路の運転にも慣れている職業運転手の行為としては、いかにも不自然の感を免れない。

2  次に、本件事故に遭遇したバスの乗客らの供述についてみるに、野村力也、稲葉公子、牧田浩二はいずれも、対向進行して来るダンプカーを発見後バスが転落するまでの間に、被告人がハンドルを左に切るのを見た旨原審公判廷において証言している。

しかし、同人らの証言内容は、「運転手の肩が上ってハンドルが左へ廻っているようなので、これは大変だと思った。」(稲葉公子、「運転手は左に大きく腕を廻してハンドルを切った。自分の見ただけでも三回は大きくハンドルを廻した。」(牧田浩二)、「運転手は夢中でぱっとハンドルを切った。」(野村力也)など、事故の体験者としてその表現に多少の誇張があり得ることを考慮に入れてもなお、要するに、被告人が左に急転把したというのであるが、本件のような狭い道路で左に急転把するなどということは、即時に停止できる速度で進行中であればともかく、そうでなければ、正に自殺にも等しい行為というほかはなく、特段の事情が認められないかぎり、被告人のような職業運転手の行為として、極めて不合理であるといわなければならない。被告人が時速約二五キロメートルで進行中前方約二四・五メートルの地点にダンプカーを発見したことは前記のとおりであり、証拠上認められるその際の制動距離等に徴しても、直ちに急制動をかけるまでもなく無事にダンプカーの手前で停車することは、被告人にとってたやすいわざであったはずであるから、前方にダンプカーが出現したことが、被告人をして右のような行為に走らせた原因となったとは考えられない。もっとも、居眠り運転や脇見運転をしていてダンプカーの発見が遅れた場合は別論であるが、本件の場合そのような事情は証拠上何ら認められない。このようにして、野村らバス乗客の前記各証言は、被告人が意識的にハンドルを左に切ったとする限りにおいては、たやすく採用できないものというべきである。むしろ、同人らの右証言はこれを、被告人が地盤の沈下等によってハンドルを左にとられた際の目撃状況として考えた場合にはじめて合理的に理解できるものと考えられるのである。

また、牧田浩二は「自分がダンプカーを発見した後、バスは草(熊笹)の中を走って行くようであった。」旨証言しており、原判決は、右証言を、本件バスの進路の認定資料として掲げているのであるが、同人は、当時バスの中から窓越しに外を見ていたのにすぎないのであるから、本件バスの左前輪の正確な位置について的確な証言をなし得る立場になかったことは明らかである。しかも、牧田は、「草の中に入ったという感じを受けたのと、バスが転落したのとは、ほとんど同時である。」との証言もしており、同人の右証言がどの時点におけるバスの位置を述べているのかさえ定かでないのであって、原判決のように、同人の証言をもって、本件バスが路端のごく近くに幅寄せして進行したとの事実の認定資料とすることは、もとより相当でない。

3  次に、被告人が、捜査段階において、当初は左にハンドルを切ったことを否認したものの、後にこの点を認めるに至ったことは前記のとおりであるので、右変更後の被告人の供述の信用性について検討する。

被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書によって、被告人の捜査段階における供述の変遷過程をみるに、被告人は、昭和四七年一〇月一九日に逮捕され、その後身柄拘束のまま連日のように取調を受けたのであるが、当初はダンプカー発見後ハンドルを左に切ったことを否定していたところ、同月二八日付員面調書において、ダンプカー発見後「無意識に」ではあるがハンドルを左に切ったことを認める趣旨の供述をするに至り、同月二九日、三〇日(二通)付各員面調書においても同旨の供述をし、次いで、同年一一月一日付員面調書において、ダンプカー発見後若干ながら「意識的に」ハンドルを左に切ったことを認める旨供述を変更し、その後に作成された各員面・検面調書においてもこの供述を維持している。

ここで、被告人の右各供述の信用性を判断するうえでまず考慮しなければならないことは、被告人が、前記のとおり本件事故によって負傷し入院していたため、一〇月一九日に逮捕されて実況見分に立会うまでの間、一度も本件事故現場を見ていないという事実である。なぜなら、司法警察員作成の昭和四七年一〇月一九日付、同月二三日付各実況見分調書添付の写真等によれば、被告人が本件事故現場の実況見分に立会った際には、本件亀裂は、時日の経過によりすでに明瞭な痕跡を消失するに至っていることがうかがわれるのである。すなわち、被告人は、本件道路上に、ハンドルをとられる原因となるような亀裂が生じていたのを現認する機会を持たなかったのである。換言すれば、被告人が本件事故現場を見た際には、道路上には、ハンドルをとられて転落事故を起こす原因となるようなものは何ら存在していなかったのであって、このような道路条件を前提とすれば、被告人がハンドルを左に切らないかぎり、本件バスは転落するはずがないのである。そうであるならば、事故現場を見た被告人として、たとえ自分ではハンドルを左に切ったことはないと思っていても、度重なる取調と相俟って、自己の記憶に対する自信を喪失し、或いはハンドルを左に切ったかも知れないと考えるに至ることは勢の赴くところやむを得ないものとして、十分に理解できるのであり、これが前記の「無意識に」ハンドルを左に切ったとの供述に繋ったものと推察できる。

更に、司法警察員作成の昭和四七年一一月二日付実況見分調書によれば、同日、警察官において被告人立会いのうえ、バスが路端から約八〇センチメートルの位置を進行し、被告人の指示するダンプカー発見地点からハンドルを切って左前輪がX2の地点に達するためには、どの程度ハンドルを左に切らなければならないかについて、グラウンド内で実験を行ない、ハンドルの遊びも入れて約八〇度という実験結果を得ていることが認められる。右実験に立ち会った被告人として、このように、相当程度ハンドルを切らなければ転落地点に到達しないとの実験結果をまのあたりにし、これをもとに追及されれば、ハンドルを切ったことはないとの供述はいうに及ばず、「無意識に」ハンドルを切ったとの供述をさえ維持できなくなるであろうことは、これまた十分に理解できるところである。現に、被告人の昭和四七年一一月一日付員面調書によれば、被告人において、「右の実験をもとにして当時のことを振り返ってみた結果、ハンドルを左に切ったことを憶い出した」旨供述しているのであって、これにかんがみても、右実験が被告人の心理に多大の影響を及ぼしたことが観取される。

果たして被告人は、原審公判(第二六回)において、右の実験結果があってそれを正しいと信ずることがなければ、ハンドルを左に切ったと供述を変更することはなかった旨を述べているのである。

以上の諸点にかんがみると、被告人の捜査段階における供述中、ダンプカー発見後にハンドルを左に切ったとの供述は信用性に乏しいものといわざるを得ない。

のみならず、被告人が右に供述するところは、要するに「心持ち」ハンドルを左に切ったというにすぎず(被告人の昭和四七年一一月五日付検面調書等)、右供述をもってしては、X2に存在した車轍のように、本件バスの左前輪が路端線に対し大きな角度をなすほどにハンドルを切った事実を認めることは到底できない。

けれども、この場合においても、なお被告人が幅寄せの際左前輪を路肩部分に進入させたのではないかとの疑いが生じ得ないではない。

しかしながら、被告人において、右幅寄せにより左前輪の外側が路端から約八〇センチに位置する地点を進行したと供述しているのは前記のとおりであるところ、全証拠によっても、被告人の右供述を覆えすべき格別の事跡は認められない。のみならず、かえって川崎鑑定、植下鑑定等によれば、被告人が路肩部分に幅寄せして進行すれば、左前輪下の地盤が軟弱であるため、相当に沈下してその部分に車轍が残存する可能性が極めて大きいことが認められるのに、本件事故現場にはX2X1を除き車轍がなかったことは前記のとおりである。けっきょく被告人が左前輪を右路肩部分に進入させたとの疑は証拠上何ら認めることができない。

第七結論ならびに破棄自判

以上に検討したところを総合すれば、本件事故は、被告人がカーブを楽に廻るべく本件バスを道路左側の路端線より約八〇センチメートル付近に左前輪の外側が位置する如く幅寄せして進行中、車の荷重により左前輪下の地盤がブロック状に沈下・傾斜してハンドルをとられたことに基因するものとの合理的疑がきわめて濃厚であって、それ以外に、前記主位的訴因に属する如き原因により本件事故が発生したとの事実は証拠上認めることができない。

けっきょく原判決は、被告人が漫然ハンドルを左に切って本件バス左前輪を路肩上もしくはその付近に進入させた過失により、車の荷重で左路端を崩壊させ、左前・後輪を路外に脱輪させた旨認定した点において事実を誤認したものというのほかなく、この誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであるので、破棄を免れない。論旨は理由がある。

よって、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書を適用して被告事件につき更に次のとおり判決する。

本件公訴事実(主位的訴因)の要旨は、既に引用したとおりであるところ、被告人に右公訴事実記載のごとき過失があったことを認めるに足りる証拠がないことは前説示のとおりである。

しかるところ、検察官は当審において予備的に訴因を追加し、「被告人は、(中略)幅員約四・五ないし六・五メートルの信濃信州線と通称する非舗装の山道を、野尻方面から戸隠方面に向けて時速約二〇ないし二五キロメートルで進行中、前方の右カーブの山陰から対向してくる宮崎昇運転の大型貨物自動車(ダンプカー)を約二四・五メートル手前において認めたが、同所は道路幅員が狭くそのまま進行してすれ違うことができない状況にあったところから、同貨物自動車に接近して自車を停車して同貨物自動車に後退を促すべく、減速・徐行して進行しようとしたが、同所付近道路は、右側が山、左側が深い谷に連なる急斜面となっている狭隘な非舗装の砂利道となっていて、その幅員の広狭も一様でなくガードレール・柵などの保安設備も設置されておらず、その上に、道路中央部より左側の谷側部分は道路中央部に比し低く、かつ、谷側に傾斜していて地盤脆弱な状況にあったのであるから、かかる極めて危険な道路を、乗客ら満員の大型旅客自動車を運転して進行する者としては、右地盤脆弱な谷側部分に進入するときは、同部分の傾斜・沈下等のためハンドルをとられるなどして車体が左側谷間に転落する危険があることを考慮し、自車車体を路盤堅固な道路中央部に保持して進行すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、自車を道路中央部左寄りに進行させて右地盤脆弱な左側の谷側部分に自車を時速約五ないし一〇キロメートルで進入させた過失により、自車左前・後車輪下の地表の傾斜沈下のため、ハンドルをとられてはじめて転落の危険に気ずき急ブレーキを踏んだが及ばず、自車を左側約五七メートル下方の鳥居川川底に転落させ、よってその衝撃等によりバスの乗客ら一五名を死亡させるとともに、同乗客及び車掌ら六六名に対し傷害を負わせた」(省略部分は主位的訴因と同旨)

というのである。

そこで、右予備的訴因について検討するに、関係証拠を総合すれば、本件事故現場の道路の状況として、前に認定・判示したほか、道路にはガードレール・柵などの保安設備が設置されていなかったこと、道路中央部に、多数の車両の通過によって自然にできた轍が形成されていてその部分が若干凹み、その左側が若干盛上っており、更にその左側が右の盛上り部分に比して若干低くなっていて谷側に傾斜した状態になっていること、本件亀裂の頂点は、右盛上り部分から谷側の、若干傾斜しつつ低くなっている部分に属すること、路端に沿って存在する前記砂利の幅は本件亀裂の前後付近で広くなっていて、本件亀裂の頂点付近にも相当数の砂利が存在すること、の各事実が認められる。

ところで、車両制限令九条によれば、「歩道、自転車道又は自転車歩行者道のいずれをも有しない道路を通行する自動車は、その車輪が路肩(路肩が明らかでない道路にあっては、路端から車道寄りの〇・五メートル(トンネル、橋又は高架の道路にあっては、〇・二五メートル)の幅の道路の部分)にはみ出してはならない。」とされているところ、本件道路は「路肩が明らかでない道路」に該当するから、同令により進入を禁止されている道路部分は、路端から車道寄りの〇・五メートルの部分ということになる(主位的訴因及び原判決がいう「路肩部分」も右の意味において理解される。)。

そうすると、被告人が本件バス左前輪を通過させた路端から約八〇センチメートルの地点は、同令により通行を禁止された部分より道路の内側部分に該当する。

もとより、運転者の過失の有無は、あくまで当該道路の具体的な状況に即して判断されなければならず、法令上通行を許された道路部分を通行していたからといって、そのことからただちに、すべての場合に過失が否定されるものでないことはいうまでもない。しかし、他方において、いやしくも法令上通行を許されている道路部分は、通常車両の通行により道路の崩壊等不測の事態が生じない程度の強度を有することを要求されるのは当然であって、自動車の運転者としても、特段の事情のないかぎり、これに信頼して通行して然るべきであると考えられる。

本件道路には事故前に亀裂等格別の異状が生じていなかったことは前記のとおりであり、また、司法警察員作成の昭和四七年九月二七日付実況見分調書等によれば、本件事故当時、転落現場手前の道路山側部分に一個所水溜りがあったものの、その他の道路部分は乾燥していたことが認められるうえ、吉田豊、中村昭の各原審証言によれば、本件道路の維持・管理を担当していた長野県職員においても、本件道路の路肩部分は非常に強固であると認識・判断していたことが認められるのであって、これらの事情に徴すると、たとえ本件バス左前輪の通過部分が若干谷側に傾斜していて山側よりも低くなっており、かつその部分に砂利が存在していたとしても、そのことから右の道路部分が脆弱であって、当該部分を通行すれば、道路に亀裂が生じブロック状に沈下・傾斜してハンドルをとられるという事態が発生することを予見することは、現場を通過する一般の自動車運転者にとってはもとより、定期バスの運転を業とする被告人にとっても、これを予見することができ、また予見すべきであったとは到底解し難い。

もっとも、本件バスの進行位置が道路中央部の轍による凹み部分から相当左側にはずれていることは証拠上明らかで、被告人として、若干道路左側に幅寄せしすぎたきらいがないとはいえない。けれども、司法警察員作成の昭和四七年九月二七日付、同月三〇日付各実況見分調書等によれば、本件転落地点付近はほぼカーブの開始地点に該当しており、本来ならこの地点付近で右に転把しつつ進行すべきところを転把することなく直進した結果このような状態になったとも解せられる。しかし一方、本件転落地点から戸隠寄りにあるすれ違い可能な道路個所においても、本件バスとダンプカーがすれ違うためには、バスは、相当谷側に寄って、左前輪を砂利の敷かれた部分にまで進入させなければならないことがうかがわれる。したがって、ダンプカーとのすれ違いを容易にするためには、予め本件バスを道路左側に寄せておいた方がよいとの判断が被告人に働いた結果このような進行径路をとったとも考えられるのであって、これらの点にかんがみれば、本件現場における被告人の進行径路ないし運転方法がとくに異常なものであったとは思われない。

以上に考察したところを総合すれば、前記の程度の幅寄せをして、左前輪の外側が路端から約八〇センチメートルの地点を進行した点をとらえて被告人に過失があったと認めることはできないものというべきである。検察官が当審弁論において引用する判例は、いずれも事案を異にしており本件に適切でない。

してみると、被告人につき、予備的訴因に掲げられた過失もまた、これを認めることはできない。

なお、念のために付言するに、被告人の各捜査官調書及び原審供述によれば、被告人において、「ハンドルをとられた際強くブレーキを踏むとともにハンドルをもとに戻そうとしたが、いずれも奏効せず、自分としてどうしようもないまま本件バスが転落してしまった。」旨供述しているところ、仮に被告人がハンドルをとられた際間髪を入れずに力一杯ハンドルを右に廻せば本件事故を回避することも理論上は可能であったとしてみても、車輪下の地盤が沈下・傾斜するなどということは運転者にとり意想外のできごとであることにかんがみれば、ハンドルをとられた際の被告人の対応の仕方に責められるべき点があったとも思われない。

また、被告人が道路中央部の轍によって凹んだ部分に沿って進行していれば、本件のごとき悲惨な事故は発生していなかったはずであり、この点まことに残念であるが、以上に検討したところに従えば、それはあくまでも結果論というほかはないのであって、被告人が右の挙に出なかった点をとらえて業務上の過失責任を負わせることはできないものといわなければならない。

以上の次第であって、本件被告事件は、主位的訴因・予備的訴因ともに犯罪の証明がないことに帰するから、刑訴法四〇四条、三三六条後段により、被告人に対し無罪の言渡をすることとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡村治信 裁判官 小瀬保郎 南三郎)

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